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zoom RSS 『Michael/ミヒャエル』 マルクス・シュラインツァー監督 その1

<<   作成日時 : 2011/11/05 23:23   >>

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今更感もありますが、先週まで第24回東京国際映画祭が開催されていました。今回はその中から、今年のカンヌのコンペに出品されたマルクス・シュラインツァー監督『ミヒャエル』について書いてみました。ヨーロッパ映画の雰囲気漂う、非常に質の高い映画でした(・∀・

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『Michael』(2011)
映画祭上映タイトル『ミヒャエル』
監督/脚本 マルクス・シュラインツァー
出演 ミヒャエル…ミヒャエル・フイト
   ヴォルフガング…ダヴィド・ラウヘンベルガー
製作 オーストリア
受賞歴 2011年カンヌ国際映画祭コンペディション部門出品

◎あらすじ
 一見どこにでもいそうな平凡な男、ミヒャエル。しかし彼には秘密がある。小児性愛者であるミヒャエルは、自宅の地下室に10歳の少年を誘拐し、監禁しているのだ。ミヒャエルと少年の「共同生活」の日々を描く。

◎感想
 というわけで、今年もちゃっかりと東京国際映画祭に行ってきました。取り上げたい作品がいくつかあるのですが、まずは『ミヒャエル』から記事にしたいと思います。監督一作目にして今年のカンヌのコンペに出品された作品だけあって、さすがにいい映画でした(・∀・

 本作はひたすらに、主人公ミヒャエルの日常を追っていくという内容になっています。その「日常」が問題なのですが、映画はすでにヴォルフガング少年をミヒャエルが誘拐し、監禁しているところから始まります。本作、というよりはミヒャエルという人間には二つの側面がありますが、まず一つ目の側面が、この誘拐犯という側面。まずこちらについて一言。

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 自宅の地下室に、少年を監禁しているミヒャエル。それゆえ、メインの舞台は家の中ということになります。そこで映し出されるのは、少年の分も含めた晩ご飯を作ったり、彼の髪の毛を切ったり、パズルで遊んだりするミヒャエルの姿。それはもし彼が誘拐犯でなければまったく映画にもならないような、いたって平凡な日常生活の記録です。このように、非日常の状態で行われている「日常」を淡々と描いていくあたりは個人的にはとても良かったです。ただしミヒャエルは小児性愛者であり、自分の欲求をぶつけるために少年を監禁しているわけなので、そのあたりのことは直接描写されないものの、やはり不快というか暗い気持ちになります。

 一方でミヒャエルは家に引きこもっているわけではなく、社会生活をしっかり送ってもいます。会社に勤め(それも周囲の仕事仲間には信頼されている)、近所の人と会えばコミュニケーションを取り、友人たちと旅行にも行きます。観客は彼が自宅でしていることを知っているので、そのような社会生活を送っているミヒャエルの姿を悪魔の仮の姿のように捉えるかもしれません。しかし、もしその事実を知らなければ、ミヒャエルを少し無口な真面目な人間だと捉えることでしょう。むしろ自分はミヒャエルが家の外であまりに「リア充」なのでビックリしてしまいました(笑)とにもかくにも、これがミヒャエルの二つ目の側面です。

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 こうして映画は彼の二つの側面―あるいは家と家の外でのミヒャエル―を交互に映し出しながら、ミヒャエルとヴォルフガング少年の生活を描いていきます。二人の共同生活がどのような結末にいたるのかは実際に鑑賞して確かめていただきたいと思います。

 ところで、彼の二つの側面はどのような関係にあるのでしょうか。あくまでも少年を誘拐監禁し暴行するのがミヒャエルの本性であり、真面目なサラリーマンというのは本性を隠す仮の姿なのでしょうか。それとも、どちらとも彼の本性なのでしょうか。いずれにしても、ミヒャエルにとっては外で働くことも、家の中で少年と暮らすことも「普通の」日常生活なのでしょう。

 このようにミヒャエルの日常を見ていると、彼のような人間が自分のまわりにもいるのではないかと思わせられます(というと自分は何も悪いことをしない聖人みたいですが:笑)。つまり普段は真面目だったり、楽しくおしゃべりをできる相手が、自分の知らないところでは思いもよらないことをしているかもしれない、と。もちろんそれを知ることなんでできないでしょうが、想像するとちょっとコワくなります(・∀・;

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 それと関連していえば、本作においてもっとも素晴らしいのは、ミヒャエルのような普通に見える人間が、しかし誘拐監禁をし少年を暴行するような、非常に暗い暴力性を持っているという洞察だと思います。そこからは、「普通の人間」である私たちの誰もがミヒャエルになりえるのであり、人の知らないところで残虐な行為をしうる生き物なのだということが示唆されているのではないでしょうか。

 また本作を観ていて気になったのは、ミヒャエルには罪の意識はないのだろうかということでした。誘拐の被害にあった両親たちの特集を見て、彼がテレビを消すというシーンがありましたが、あれはミヒャエルの良心の呵責を示しているのか、それともただ不快になっただけなのか、気になるところです。道徳という観点からのコメントを捨てたと監督が言っているように、映画自体は客観的に、突き放したかのように二人の生活を描き出しています。しかし、それをどう見るかは観客の仕事なのでしょう。

 物語のオチは予想できてしまうものでしたが(というより、この話に決着をつけるのはとても難しかったと思います)、途中まではかなりの傑作と感じて食い入るように鑑賞してしまいました。作品全体の淡々とした雰囲気は本当に素晴らしかったです(´∀` 日本での公開予定はまだ未定だと思いますが、海外ではそのうちDVDが出ると思います。とくにドイツでは確実に発売されるでしょう。日本でも鑑賞するチャンスがまたあるかもしれません、気になる方はチェックしてください。

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本作の監督インタビューを和訳した「その2」はこちら!
http://planeta-cinema.at.webry.info/201111/article_2.html

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