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zoom RSS 『Police, Adjective』 コルネリウ・ポルンボユ監督 その2

<<   作成日時 : 2012/08/19 21:09   >>

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いつも通り、監督インタビューにいきましょう。『Police, Adjective』についてのコルネリウ・ポルンボユ監督インタビューです。この物語の由来、監督の意図など、気になる部分について語ってくれています。いま話題のルーマニア映画に興味のある方はぜひ(・∀・

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なお、本作の「その1(紹介・感想編)」はこちら、
http://planeta-cinema.at.webry.info/201208/article_1.html
インタビュー原文はこちらからどうぞ。
http://www.artificial-eye.com/film.php?dvd=ART516DVD&dir=corneliu_porumboiu

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――この作品を作りはじめたとき、監督の頭の中には具体的なキャラクターのイメージがあったのでしょうか。それとも、権力などについての抽象的なテーマから出発したのでしょうか。
 作品のインスピレーションは、大抵の場合、私を取り囲んでいる現実を観察することに由来しています。私には警察の友人がいて、彼の体験談をたくさん話してくれました。それから少しして、ある新聞記事を偶然見かけたんです。それは、自分の兄弟がハシシュ(マリファナ)のディーラーであるという情報を提供した男の話でした。私はこの話を興味を持ちました。
――具体的にはその話のどこが興味深かったのですか。
 実際のところ、この取るに足らない犯罪の結末であるとか、裁判でどんな判決が下されるのかということに興味はありませんでした。兄弟が兄弟を裏切るという物語が、私のイマジネーションを刺激したのです。私は脚本を書き始めて、警官がどんな風に捜査をし、容疑者を尾行するのかも調べ始めました。これは本当に魅力的なものでした。

――前作『ブカレストの東、12時8分』が扱ったテーマをこの作品でも取り上げていると思われますか。
 『ブカレスト〜』のあとで、私は四つの脚本に着手していました……そして結局、この作品を撮ったわけです。ばかげた、不条理な物語をほとんどドキュメンタリーに近いスタイルで語るということは、きわめて現代的な映画へのアプローチを表していると思います。結局、この映画は言葉の意味と法律の意味についての作品なのです。私たちが「道徳性」とか「法」とか「良心」といった言葉に帰属させている意味に私は没頭していました。

――人々を尾行したり捜査したりすることと、映画監督として仕事をすることとの間には共通点があるとお考えですか。
 そうですね、ある意味ではそうです。脚本の第一稿を書き終えたあとで、警察官の日常的な職務を記録しようと決めました。キャラクターの真実の姿は、彼らが仕事をしているときの姿を見ることによっていつでも明らかにできると思っています。だから、私たちはクリスティが容疑者を尾行している姿をリアルタイムで見せたんです。

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――この作品が監督の故郷、北東部のバスルイという街で撮影された二作目ということになります。なじみのある場所を舞台にすることは、作品を発展させていくうえでどう重要なのですか。
 舞台はとても重要でした。というのは、バスルイが私の一番良く知っている世界だからです。

――クリスティが若い容疑者を尾行する姿をリアルタイムで見せようとするとき、警察の仕事を、バスルイでの日常生活やルーマニア社会を探究するための出発点として利用しようとしていたのでしょうか。
 もちろんです。私たちはクリスティが中間の世界を進んでいくのを見ます。そこでは、すべてのキャラクターたちが、古い社会から新しい社会への移行に関わっているのです。ですから、ある意味ではこの映画は今日のルーマニアのポートレートなのです。ルーマニアという、最近になってEUに加盟したものの、まだ(古い社会から新しい社会への)過渡期にあるような国のね。

――映画には、動きのないセリフやたくさんの空き地、それから複雑な官僚制、そして偏屈さといったもので登場します……これらは変化や前進することを拒絶するルーマニア社会を象徴しているのですか。
 本音を言えば、私はルーマニア社会の停滞であるとか、変化に対する拒否感といったものに焦点をあてたくはありません。私がもっと関心を抱いているのは、クリスティという警官がどのようにして今日のルーマニアと向き合うのかを示すことなんです。彼の調査の中には、官僚的・お役所的な交渉が含まれています――(関係者の)名前を手に入れたり、ファイルをまとめたり、他の部署と協力したり。あらゆることが多くの時間と労力を奪っていきます。それは、クリスティの仕事は真実を探すことから成立しているからです。彼は几帳面であろうとし、いつも観察記録を書いています。そうするうちに、彼は事件に関わる他の人々についてのレポートも必要になるわけです。こうしたことはどれも、とても官僚的に見えます。その一方で、ときどき私には、私たちはみんな誰かのためのファイルであるようにも感じられるのですが。

――容疑者の尾行はサスペンス映画の常套手段ですが、本作はきわめて地味なものになっています。
 いつも「クライム・ムービー」を作ってみたいと思っていました。というのも、そうした映画はパズルのようなものだからです。観客として、あなたがたは捜査に同行します。そして事件によってみなさんは考えさせられ、おそらくなんらかの意見を抱くことになるでしょう。私は「エルキュール・ポアロ」みたいな犯罪もののシリーズが好きなんです。もちろん、この計画に着手したときからこうした(クライム・ムービーという)ジャンルについても頭にあって、どういう風にそれを自分のスタイルに適合させていくのかを考えていました。作品を撮影していたとき、私は「犯罪もの」のドラマチックなルールに従わないと決めました。それよりも、メインキャラクターの心の中の世界に興味があったからです。同時に、そうした心の中の世界を、観客に分かりやすいようにしたいとも思いませんでした。それで私は、内密に捜査する警官の仕事をできるかぎりリアルに描いたんです。なんの手がかりも与えずにね。理念としては、観客は仕事中の警官を折っていく第三者の視点を得られるわけです。つねにジャンルというものについて考えていましたが、結局私は「ポスト−クライム」映画と言えるようなジャンルの映画を作ったのだと思います。

――前作では歴史上の英雄について、アイロニカルな見方を示したわけですが、今回は違います。複雑な状況にあるヒーローではなく、ただシンプルに、自らの良心と葛藤する警官が主人公です。
 映画監督として、私は普通の人々に関心があります。そして、私は真の英雄についての映画を作りたいとは思わないんです。映画は私たちが生きている時代の証言者であるべきだと感じています。『Police, Adjective』では、私たちが言葉をどのように使用あるいは濫用しているのかということに焦点を当てました。『ブカレスト〜』の最後では、革命ということについてたくさんの異なる定義を飛び出してきました。今回、私が見出そうとしたのは、言葉の裏に隠されたもの、どのように言葉は解釈されうるのか、どのように言葉は多くの異なる視点を示唆するのかということでした。映画は最後に、ルーマニア語の辞書を持ってきて、「良心」や「法律」あるいは他の物語の鍵となっている言葉の意味を説明すると思われますが……しかしそうではありません。

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――クリスティはすぐに魅力的なキャラクターとして映るわけではなく、彼のことを知るにには時間がかかります。クリスティへ感情移入することや、観客の注意を引きつけることについて話していただけますか。
 主要な参考文献となったは、警官として働いている友人でした。仕事をするクリスティをリアルタイムで見せるうちに、どういうわけか彼が魅力的に見えてきます。脚本を書いているときには、このようなプロセスにおける小さなステップに注意しています。彼についてはわずかな詳細が語られるだけです。私は観客に彼との同一化を強いることはしたくなかったし、彼の動機・真意を明らかにしたくもありませんでした。彼を魅力的にさせる要素を付け加えることなく、クリスティの物語を展開していく方がいいと思いました。最後に彼は、純粋にプロとしての態度をとることによって私たちを驚かせますが、同時に彼は自分のアイデンティティを保ってもいます。クリスティはとてもプロフェッショナルであり、あのような無意味な事件の調査であっても、自分の仕事に身をささげるのです。それが彼を普通ではない人間にしているのだと思います。

――では、彼は法と正義の対立に葛藤しているということですか。
 はい。私たちはこうした言葉の背後にある意味について、もっと感覚をみがくべきだと思います。映画の冒頭で、クリスティは、兄弟の仲を切り裂くような悲劇を引き起こすべきではないという常識を十分に持っています。彼らをカインとアベルにするべきではないと。彼が上司との最後の論争にいたるとき、彼は自分の「良心」にしたがう必要があります。その「良心」は後悔するようなことをすべきではないと彼に告げています。上司は、法に従うべきだと主張します。しかし、彼が言われたことをしたとき、彼の良心には何が起きるのでしょう?

――俳優はどうやって選んだのでしょう。
 脚本を書いているときには頭にあったのは、(クリスティを演じた)ドラゴス・ブクルだけで、他の役についてはキャスティングのセッションを開催しました。そこで、ヴラド・イヴァノフ――『4ヶ月、3週と2日』で中絶手術をする医者を演じた――を警部役に選びました。彼は警部というキャラクターを権力が具現化した姿として完璧に表現してくれました。最後のシーンはとても長くて難しいものだったので、彼のような信頼できて素晴らしい才能のある俳優が必要だったんです。

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――俳優とはどのように作業をしたのですか、とくにそうした長回しのシーンでは。
 ドラゴスと映画の準備をしているときに、私たちは警察からコーチに来てもらっていました。尾行する警官は、偵察するためのルールを守る必要があります。たとえば、彼らは容疑者から適切な距離を保っていなくてはなりません、それから容疑者のスケジュールを念頭に入れるとかね。このようにドラゴスに尾行する仕方を教えたので、彼の演じたキャラクターは可能なかぎりリアルになりました。ボディ・ランゲージもまた大切でした。というのはクリスティはいつもハンターのように振る舞っているからです。私たちは準備の段階でいくつかのステップを経由して、それからリハーサルもたくさんしました。とくに、クリスティの妻が出てくる長回しのシーンや、上司と口論する最後のシーンはそうでしたね。いざ撮影に入ってみると、仕事はとても速やかに、容易に進みました。私たちは屋外のシーンのリハーサルをバスルイで始め、ブカレストでセリフのリハーサルをしました。撮影をする三週間前のことでした。撮影自体はたったの24日間しかかかりませんでした。幸運なことに、予期しないハプニングもそれほど起きませんでした。

――俳優たちは監督の独特なスタイルに馴染みましたか。
 いいえ。私はカメラが中立の立場にあるように、クリスティをどこまでも追いかける第三者のようになることを望んでいました。私はキャラクターのイマジネーションの中にまで立ち入ってしまいたくはありませんでした。彼の行動を外側から見せる方を私は選びました。本作の映像的な構造は三つの領域からできています。映画の冒頭で、クリスティがショットの中に入ってきます。それからは、みなさんも彼とともにいるわけでですが、上司との口論のあと、最後に彼はフレームの外へと出ていくのです。

――「エルキュール・ポワロ」を別として、この作品のスタイルに影響を与えた映画はありますか。
 クライム・ムービーはたくさん観るんです。次に何が起こるのか考えるのが好きなもので。スタイルに関しては、『スリ』に影響を受けていると思います。それからロベール・ブレッソンがキャラクターを追っていく手法ですね。彼はいつもドアを開けて、廊下まで歩いていきます。同時に、セリフのない長回しのシーンでは、アントニオーニの『欲望』のことをよく考えていました。

――セリフは前作よりも減っていますが、キャラクターや現代の社会についての暗示を含んでいて、入念に構成されています。
 映画の中のすべてが、とくにアクションもセリフもほとんどないような長回しのシーンは、映画の最後の問答の不合理さ、ばかばかしさを強調します。物語のはじめの方、クリスティが同僚に話しかけるとき、彼はいつも時間について話しています。この事件をいつ引き受けたのかとか、容疑者についての情報をいつ教えてくれるのかとかね。そうしたシチュエーションはとてもばかげています。なぜなら、誰もが何かをするのに忙しくて、クリスティの仕事が重要であると考えるひとはいないからです。他人のために時間を見つけることが、キャラクターたちにとって大きな問題になるのです。だから、映画は次第に時間についての映画になっていきます。

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――クリスティは理想や道徳的な誠実さをもった警官で、皮肉な警察の体制――つまり、「個人」を破壊し、人々を歯車の一つにしてしまうような――と格闘します。監督は彼を悲劇的なキャラクターだと思いますか。
 いいえ、まったく思いませんよ。映画の最後に、彼の上司は「法」と「良心」という言葉の意味についてのレッスンをします。そしてクリスティはそれを受け入れるのです。私は悲劇的なキャラクターを描きたいとは思っていませんでした。

――悲劇的ではないとしても、映画は個人の信念と職業上の義務とが対立するジレンマを扱ってはいますね。
 映画の終わりに、クリスティは悲劇的なシチュエーションにいます。しかし、私はその側面を強調したくないんです。ハシシュを吸っている少年を逮捕するというこのような事件は、大事件ではありません。圧倒的多数の人々が、個人の信念と職業上の責務とのジレンマに直面したときには、クリスティがしたようにすると思います。伝統的な映画の中にはある種のルールがありました。それは、「映画は体制に従うことを拒否する人間(反逆者)についてのものであるべきだ」というルールです。私はそれよりももっと現実的なアプローチを選んだのです。

――2006年に監督はカンヌでカメラドールを受賞しました。2007年にはクリスティアン・ムンジウがパルムドールを獲得しています。なぜルーマニアのニューウェーブと言われる世代の映画監督たちはこのように成功しているのでしょう。
 私たちは、フランスのヌーヴェルヴァーグのように、マニフェストや理論を持っていません。しかし、私たちは映画について同じ嗜好を共有しています。私たちが育った共産主義の世界では、映画はプロパガンダのための重要な道具でした。そのため、私たちはできるだけ正直に現実を反映しようとするんです。いま、私の世代の映画監督たちの間には、ある種のスタイルの団結があるように思います。しかし私は将来的には一人一人が自分自身の世界を探求していくだろうと考えていますし、ルーマニア映画はもっと多様なものになっていくでしょう。いまのところ、私はたった二つの長編を撮っただけですから、自分が映画監督としてどのような方向に進んでいくのかを知りたいですね。

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