ぷらねた 〜未公開映画を観るブログ〜

アクセスカウンタ

zoom RSS 『ポケットの中の握り拳』 マルコ・ベロッキオ監督 その2

<<   作成日時 : 2013/02/03 20:40   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

今年も訳していきます、監督インタビュー(・∀・ 『ポケットの中の握り拳』についての マルコ・ベロッキオ監督インタビューです。発表当時のインタビューと、クライテリオン版DVDのために行われたインタビューの二つを訳しました。訳しながら「流石にこの人は言うことが違うなー」と何回も思ってしまいました。

画像


本作の「その1(紹介・感想編)」はこちら。
http://planeta-cinema.at.webry.info/201302/article_1.html

今回訳した二つのインタビューが収録されているクライテリオン版DVDはamazon.comから購入できます

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

○イギリスのSight&Sound紙による1967年ヴェネチア映画祭でのインタビュー。

――なぜてんかん患者のいる家族についての作品を第一作として選んだのですか。
 映画はときにシンボルを必要とします。それから私にとっててんかんは、あらゆるフラストレーション、苦しみ、そして若い頃によく見られる弱さを表現するものなのです。いくらかの人々は、この映画を医学的な病気に関するものだと見なしましたし、製作を始める前からリスクがあることは承知していました。私はこのテーマをできるだけ客観的にかつアイロニカルに扱おうとしました。そして逆説的ではありますが、テーマから距離をとればとるほど、それが前面に出てくるようになったと思います。観客の方々が単純に本作の主人公は病気なのだと感じずに、彼が若者の人生のある時期を表現しているのだと感じてくれると信じています。

――別の場所で、『ポケットの中の握り拳』は自伝的であると言っていますね。この映画の中の、どの部分が自伝的なのですか。
 特定のキャラクターやシークエンスの中に私自身を見出すことができるのかという意味では、本作は自伝的ではありません。それは避けようとしましたから。その一方で、私はブルジョアな家庭に生まれ、映画に出てくる場所と同じ田舎の環境で育ちました。これらはすべて私自身の経験の一部分です。そして、私の人生は、自分のブルジョワ(という生まれ)とカトリック的な青春期に対する強い反発なんです。『ポケットの中の握り拳』に出てくる少年は打ちのめされ、壊れています。なぜなら彼は現実を受け入れようとしないからです。彼の逃避の試みは、デカダンだけでなく、なかばファシスト的な性格をあらわにします。私はイタリアでファシスト政権の時代に基礎を築いた大家族のなかで育ちました。私の父はファシスト党のメンバーではありませんでしたが、彼が感情的にはファシスト党のポリシーと結びついていたと思っています。『ポケットの中の握り拳』は、私が生きるために逃げ出さなくてはならなかった環境を描写しているという意味で自伝的なんです。

画像


――いくらかの国会議員が、本作に対して暴力的に抗議しています。彼らは何に反対しているのでしょう。
 41名のキリスト教民主党の議員が、本作を禁止するように望んでいます。というのも、彼らはこの作品がイタリアの家庭、とりわけ家庭における母親の役割を侮辱するものだと考えているからです。イタリアでは、家庭というものはほとんど聖なる共同体、社会の柱として見なされています。だからそれを批判するなんて言語道断だというわけです。イタリア映画は国家から経済的な支援を受けるものですし、商業的な成功がなくとも芸術的であった映画には特別な賞が贈られます。政治家たちは、私がお金を得られないようにしようとしているんです。
(このような反対にもかかわらず、『ポケットの中の握り拳』はイタリアのアカデミー賞であるナストロ・ダルジェント賞で最優秀脚本賞を受賞した)

――どのイタリアの映画監督に親しみを感じますか。
 もちろん私はロッセリーニの初期の作品が大好きなのですが、もはや彼を追いかけてはいませんね。というのも、彼にとって映画は教育と関わるものになってきて、彼のドキュメンタリーのアプローチは私のものとはまったく違うからです。アントニオーニの映画は好きで、それからヴィスコンティの初期作品――『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、『揺れる大地』、『夏の嵐』――も好きですね。しかし悲しいことにヴィスコンティも今では、十年前には彼が分析し批判できていたブルジョワの一部になっています。彼の最近の作品は取るに足らず、重要でもありません。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は本当に革命的な作品でした。『熊座の淡き星影』はデカダンで復古的です。同様にフェリーニも、彼のカトリック的なコンプレックスが、私にはまったくついていけない方向へと彼を追いやってしまいました。フェリーニの映画を観るといつも10分で退屈してしまいます。これらの年上の監督たちは、私が映画とともにしたいと思っていることと全然違うことに従事しているんです。
 イタリアの若い世代の映画監督について言えば、私たちの問題は、同じ思想や考えのもとに映画を作る一致したグループではないということが挙げられます。これはおそらく、私たちの自己中心的なイタリア人気質によるものでしょう。ベルトルッチは大好きですね。『革命前夜』はとても詩的で感動的な映画です。しかし同時に、あの主観的なポエジーは私自身の性格からはかけ離れています。彼の主観主義はフランスの新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)と関わるものですが、私自身はそれよりもブニュエルとの関わりを感じています。私は自らをシュールリアリスティックな映像によって表現しようとは思いませんが、彼の挑発的で冒涜的な方法にはとても魅力を感じます。ブニュエルの素晴らしい点は、今でも若いままでいられる監督であるということ、そしてつねに自分自身と自分のアイディアに誠実であるということです。10年か15年前、ハリウッドではホークスやミネリ、アルドリッチといった人々が重要な作品を残しました。しかし今、アメリカ映画は死にました。今でもなお問題を明確に描写できる唯一のアメリカ人監督はビリー・ワイルダーだけです。

画像


○DVD発売時に行われたインタビューより、ベロッキオ監督の発言部分を抜粋。

――私は、映画監督の学位を受けたイタリア国立映画実験センターを卒業したばかりでした。当然のことですが、当時はまだ自分が何者で、何をしたいのかということが分かっていませんでした。絵を描くことが好きで、文学と詩を愛していました。しかし、映画監督の学位を取ったということがほとんど意味のないことだということには気づいていました。それで卒業後にロンドンへ行ったんです。英語の勉強と、田舎のローマ人的だった自分の視野を広げるために。この物語について考え始めたのもロンドンにいた頃のことです。映画監督としての自分の力量を試してみるという意識的な目標――無意識的な目標はもっと複雑なものですが――をもってね。もちろん、大幅に変更してあるとはいえ、自分の人生の物語について描くということによって、自分に有利なようにはしました。田舎の生活に対する私の反抗という。この作品はたしかに、家庭での生活という経験への返答です……苦しみや失望、それから痛みの経験への。

――まるで私はプロデューサーを見つけることができないと分かっていたかのように、つまりこの作品をプロデュースしたいという人間を見つけられないと分かっていたかのように、舞台を自分の母親の家に置きました。その家は、子供のころに休日を過ごした街にありました。

――アナーキーな映画からは確かに直接的な影響を受けました。ですから、ヴィゴは非常に関連性がありますね。『アタラント号』、同様に『新学期・操行ゼロ』。それからシュールレアリズムのムーブメントもそうです。というのも私は気づいていたからです……つまり、私にとって時系列的なリアリティだけでは不十分だということに気づいていたからです。いいですか、あの頃までにはネオレアリズモは死んでいて、埋葬されていました。アントニオーニや新たな波はすでに現れていましたし、大きな刷新の時代だったんです。

画像


――主人公と彼の妹に誰をキャスティングするのかという大きな問題がありました。(主役を演じた)ルー・カステルの選択について言えば、当然のことですが、最初はすでに知られている役者を起用したいと私たちは思っていました。ジャンニ・モランディに打診したのですが、彼は当時若くて有名な歌手で、彼自身はこの作品に出演することを受け入れていました。しかし、彼の父親かマネージャーがそうさせてくれなかったんです。そのことがあって、私たちは広く探し求めることになりました。ルー・カステルとは偶然出会ったんです。彼はイタリア国立映画実験センターでの映画監督向けの授業を聴講していたんですが、そこで私たちは彼をオーディションしたわけです。
 私たちはカステルにめぐり会えてとても幸運でした。本作以降、多くの作品に出演してはいますが、当時の彼はアマチュアの役者でした。しかし私はいつも、彼を素晴らしいアマチュアだと思っていたんです。このことは彼の名誉でもあり、不運でもありました。彼は、誰もが言うように、完全に役の中に入り込みました。彼は確か、スウェーデン人とコロンビア人の両親のもとに生まれました。しかし彼はボッビオに来て、この映画の家族のなかにすぐにフィットしました。そして、この作品の強烈なエネルギーになったのです。彼の顔は、本当に作品の象徴です。絶望し、ヒステリックに笑い、深刻で、外見上は冷静な、あの顔が。それは本作における彼の単なる「貢献」ということ以上のものです。(彼の起用した)あの選択は……幸運な偶然の一撃だったと思います。なぜなら、あの選択が様々な選択のなかの一つだとしても、彼は映画に強烈なインパクトを与えることや、国際的な成功を収めることの助けとなったからです。
 パオラ・ピタゴーラ、彼女はとても美しくチャーミングな女性でした。彼女はすでにいくらかの経験を積んでいましたから、オーディションは不要でした。すでに彼女はとても有名だったんです。彼女は私に手紙を書いてくれて、あとでは話してもくれたのですが、この脚本にはとても悩んだそうです。出演するかどうかも不確かだったと。彼女を説得したのは、有名な画家だった彼女の恋人でした。

――ルー・カステルがたびたびする動作、手を額の前に持ってくる動作(※下の画像参照)は、部分的に自覚された秩序への願い、家族がまとまることへの願いを表現しています。このバラバラな家族に秩序をもたらすという。こうした願望が、母親を殺す前や家にいるときに彼がくり返すこの動作に集約されているのです。彼が犯す二つの殺人が、最小限のエネルギーでなされていることを忘れてはいけません。ぞっとするような、あるいは血まみれになるような仕方ではないのです。彼はシンプルに母親を谷底へと、指でもって突き落とします。まるで、もちろん不可能なことですが、精神の力だけで突き落したかのように。同様のことが弟を殺すときにも起こります。彼は人指し指だけで弟を水の中に沈めます。こうした最小限の動きは、とりわけ即興的に生み出されました。そうしたことがつねに起こるわけではありませんが、ときどき、脚本を書いているときにそうした動作がキャラクターに適していると気付くことがあります。それはまた、ルー・カステルの素晴らしさでもあります。彼は非常に深いレベルで、キャラクターになりきったままでいられるのです、自分自身を成長させながら。

画像


――エンディングに関しては、あれは私が受けた音楽教育と練習なんです。あの部分が脚本にあったかどうか自信がないのですが、ボッビオにいる最期の瞬間に決められました。映画を終幕へともたらす方法としてね。明らかにあのシーン(※カステルがオペラにあわせて踊る)は、カステルが受けてきた教育とは関係がないものですから、彼にはやり方が分かりませんでした。それで私たちは即興で行わなければなりませんでした。
 あのシーンはとてもうまくいって、エキサイティングなシーンになりました。でも、ルー・カステルはオペラについては何も知らなかったんです。彼は自分自身のやり方で演じました。ときどき正しいテンポで踊ってもいましたが、音楽についての理解や、『椿姫』のあの部分についての理解はありませんでした。彼はあの同じ反復的な動作の中に身を投じ、そして自滅的な調和のなかで終わりを迎えます。彼の死をほのめかすものとして読み説かれうる終わりへと。

――最終的に私たちは作品を、ロカルノ映画祭のディレクターであるベレッタに送りました。まだ音がなくて、ただ映像だけのものでしたが、彼は夢中になってくれました。それで私たちはロカルノで作品を上映したんです。私はいつも言ってきましたが、映画館で観客に向けて作品を上映する最初のときには、もはや……。観客はまったく予期していない仕方で反応するということを私は理解しています。
 ロカルノで、彼ら(観客たち)は、笑っていました。やや抑えきれないように、そしてヒステリックに反応しました。それは予期せぬ反応でした。私はこの作品がとても悲劇的な映画だと思っていましたから。しかし驚いたことに、この作品の多くのシチュエーションは、観客を笑わせたのです。あとになってブニュエルがこの作品を見たということを知りました。そして批判的であったということも。彼は「私はこのタイプの冒涜には賛成しない」と言いました。そして「母親殺しだけでなく、また嘲るような行為についても……つまり母親の遺体の上を主人公がジャンプするような行為についても(賛成しない)」と。しかし、この作品のトーンは抽象化よりは嘲笑的ではないと思うんです。そして、自由化よりは侮辱的でもないと。死体の顔と葬式を映すシーンでは。

――何年も後になって、スペインかアルゼンチンで、「あの映画を観たときに……」と言ってくれた人がいました。いまでも多くの人が、私のことを覚えていてくれるんです、『ポケットの中の握り拳』を作った男としてね。

画像


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

誤訳などを発見されましたら、コメント欄・メールにてご指摘くださいm(_ _ )m

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『ポケットの中の握り拳』 マルコ・ベロッキオ監督 その2 ぷらねた 〜未公開映画を観るブログ〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる