『The Five Obstructions』 ラース・フォン・トリアー監督 その2

ラース・フォン・トリアーの要求に耐えながら、自作をリメイクしたヨルゲン・レス監督のインタビューを訳してみました。日本ではレス監督の作品を観るチャンスはほとんどないと思いますが、かなり凄い人物なのではないかと思わせられるインタビューになっています。

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なお、その1(紹介・感想編)はこちら、
http://planeta-cinema.at.webry.info/201008/article_1.html
インタビュー原文はこちらからどうぞ。
http://bombsite.com/issues/88/articles/2656

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――『The Five Obstructions』では、俳優たちを苦しめることで有名な監督の手にご自身を委ねましたね。はじめのシーンで、あなたはラース・フォン・トリアーの提案――あなたの初期の作品である『The Perfect Human』を、彼が設定する一連のルールあるいは制約を守って、五度もリメイクするというもの――は作品のもとのアイディアを「完全破壊」することだと言いました。なぜそのような待遇に同意したのでしょう。
 挑戦になるだろうと思ったからです。私はラースが私の作品を尊敬していたことを知っていました、私が彼や彼の作品に敬意を抱いているようにね。彼が一緒に映画を作ろうと提案してきたとき、それは非常に楽しいことになるだろうと思いました。しかし、私とて世間知らずではありません。彼がへそ曲がりで、悪魔のようにさえなることは分かっていました。それで、すべてがゲームのように楽しく進むわけがないことは分かっていたのです。複雑な経験でした……。彼は私に、『The Perfect Human』のオリジナル・バージョンを認め、愛していることを伝えてきました。そこで彼が映画の最初に聞いてきたことは、作品を完全に分解してしまうことでした。ショッキングな提案でした。いずれにせよ、そのことも私たちが計画のために設定したルールの中に含まれていましたから、私は彼の挑戦を受けるしかありませんでした。他にも、お互いに本音をさらけ出すとか、自然のままにするとか、脚本などは準備しないというルールがありました。撮影中は作品に対する彼のルールがどのようなものになるだろうということはわかりませんでしたし、私が彼の挑戦にどう反応するかを彼も分らなかったでしょう。この意味で、私の反応はまた彼にとっても挑戦だったのです。

――映画製作についてのドキュメンタリーというジャンルがあります。私の意見では、Les Blank監督の『Burden of Dreams』が最高です、クラウス・キンスキーが主演した『フィッツカラルド』制作時のヴェルナー・ヘルツォークについての作品です。映画は監督と俳優との苦痛を与える関係、ついには両者とも狂気に至るような関係を記録しています。あるとき、映画の中でキンスキーを殺すと脅しながら銃を振り回すヘルツォークを見ることができます。より最近の例で言えば、テリー・ギリアムの『ロスト・イン・ラマンチャ』があります。これは「ドン・キホーテ」を撮影しようとしたギリアムが、主演俳優の怪我で撮影ができなくなったことを記録したものです。『The Five Obstructions』にも、これらの作品と共有する側面があります。しかし、異なる点もありますね。一つには、本作はリメイクであること、二つ目には監督として直面する障害はすべて考え出されたものであることです。これらのことは、ドキュメンタリーに反する前提ではないのでしょうか。
 ある意味では、私はラースがとても不親切で、私を遠くに追いやったことに感謝しています。そのことで、私は革新的にならざるをえなかったからです。それはすべての種類のゲームに似ています。ルールを真剣に受け取らなければ、まったく面白くないという意味でね。ですから、彼が本当に困難な制約を思いついたとき、私は作品の中で自分自身を超える必要があったのです。私は制約をとても真剣に受け止め、制約がなかったならば絶対にしなかったであろうことを作品の中でしています。例えば第一の制約のように、毎秒12フレームで映画を撮るということは今までしたことがありませんでした。この計画全体が、ラースが私に恥をかかせるためのものだったと言えるかもしれませんし、私ははじめからこの計画に参加することはリスクを負うことだと思っていました――第一に私の評判にかかわるとね!彼の挑戦に応えることができなかったら、とても恥ずかしいことだったでしょうから。しかし、正しい方法ではないかもしれないが、興味深い映画を作るために障害を利用するという方法を模索するチャンスなのではないかと思ったのです。あなたはこの作品がリメイクについてのものだと言いましたが、それは事実ではありません。これは、何よりもまず映画撮影の創造過程を追ったものなのです。ラースと私が持ったディスカッションは、まさに計画全体をまとめる部分でした。その意味で、『The Five Obstructions』は創造過程についてのドキュメンタリーなのです。

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――あなたたちはどちらも監督ですが、この作品の大部分は、監督としてゲームのルールについて議論しているあなたを描いています。しかし同時に監督は、このドキュメンタリーにおいては、ラース・フォン・トリアーの命令を実行しなくてはならない俳優でもありますね。
 そう、そうなんです、面白い経験でしたがね。彼は自分の作品の俳優かのように、私を扱おうとしていました。しかし、私にとって彼と作業することは簡単なことではありませんでした。もしかしたらそうでもなかったのかもしれませんが、分りませんね。このプロジェクトの面白かったところは、私がどこに導かれていくのかわからなかったことです。それは、この計画の美点でもあります。それはまた、芸術の美点でもあります、実に――芸術があなたをどこに導いてくれるかを知ることはできません。これは、詩を書くことに似ています。詩を書くとき、私は決してどんな境地に辿り着くのか分かっていたことはありません。ただ始めたことを知るだけです。私はどうも変わり者のようで、知らないことを起こしてもらうのが好きなのです。それは最良の時に起こる奇跡であり、同じことが映画製作についてもいえます。私は同じ哲学を自分の作品にあてはめているのです。私は、初めから自分のコントロールが利かない状況に置かれるのが好きです。そうすることで、まったく予期していなかったことがシチュエーションの化学反応によって起こるのです。これが、『The Five Obstructions』で起きたことの本当の意味です。ラースも同じであり、しかし違うのです。つまり、あるときコントロールの有る無しについて話し合ったことがありました。私たちはお互いに、決してどんな結果になるのかわからないことが映画の美点だと同意しました。しかし同時にラースは、コントロール・フリークです。彼は他の人間をコントロールし、ルールを設定し、それを操作することを望んでいます。あなたが言うように、映画の中で、私は確かにこの操作に自分を引き渡しています――自ら屈辱を受けようとしているとさえ言えます。しかしそれを私は自覚的にしていました、何が起きるのか見たかったからです。

――映画の中でラース・フォン・トリアーは、思うにドキュメンタリー作家にとって一番の悪夢となりうる提案をします。彼はあなたに、数か月をかけたボンベイでの「第二の挑戦」の完成後、映画を撮影し直すように要求しました。それは結局あなたにとって最も困難な「制約」となるのですが、トリアー監督はあなたに完全なる自由を、つまり「制約なし」で撮影することを要求しました。なぜ、芸術の自由はあなたにとって究極のペナルティになったのでしょう。
 私は形式主義者のルールと作業することに慣れています。自分の作品では、私は制限とともに自分自身に挑戦することが好きなのです。たとえば、この作品では、カメラを使わないというルールを立てよう、とか。これは矛盾に聞こえるかもしれませんが、私にとっては、決まったフレーム数で何かを創造するための、自由を構成するものなのです。とくに決まった制限なしに映画を作らなければならないというラースの要望に応えなくてはならなかったとき、私は本当にどうすればいいのか分りませんでした。絶望を感じたほどです。私は自分の息子とどう撮影すればよいのか話し合って、私の詩について語り合いました。私の詩には、ミステリーと性の構成要素が一貫して現れています。私はずっとフィルム・ノワールを愛してきましたし、内面の暗い感情で動機づけられた人物像を通して私が詩の中で探究してきたフィルム・ノワールの主題は、『The Five Obstructions』に対して素晴らしいインスピレーションを与えてくれました。この作品は、私がずっと関心を持ってきたにもかかわらず映画において探究することができてなかったアイディアの名残を、詩の中に見出せることの面白さを教えてくれました。それで私は『The Perfect Human』をフィルム・ノワールとしてリメイクしたのです。私にとっては、制約に対する茶目っ気のある解答でした。

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――事実、この芸術的自由は、あなたが自らに課してきたお決まりの制約というテクニックでは作ることができなかったものを創造するチャンスを与えてくれたといえます。
 そう思います。このことは何かをなすチャンスを与えてくれました。私はいつも、そうすることを望んでいたのですが。
――そうするためには、自らルールを破る必要があります。
 その通りですね。

――映画では、トリアー監督が「あなたの美学の原則とともにあなたを非難する」ということを言います。そして彼は、あなたが挑戦に失敗すれば、自信とコントロールを失って心理的なブレイク・スルーを経験するだろうと信じています。私は、これが彼特有のテクニックであると思っています。しかし、私には彼があなたに望んでいることは、愚かな仕事振りであるように思われます。それは、『イディオッツ』で彼が俳優たちから引き出そうとした演技に似ています。映画ではグループの面々が、社会の正常さや慣習を拒否することであると信じて公共の場でさまざまに行為します。しかし、あなたはそのような愚かな人物ではないでしょう。
 そうですね。
――そして、自制心を失うというアイディアを信頼しているようにも見えません。
 はい、そういうことはまったく信用していませんね。私は、心理的なブレイク・スルーや感情の疲労から、なんらかのピュアでけがれのないものが生じてくるとラースが信じていることは、彼のロマンチックな部分だと思っています。
――彼はあなたが正気を失うように追い込もうとしています。
 私はものごとをそのような狂気に追い込むこと、映画製作の限界、ドキュメンタリー制作の限界まで追い込むことに傾倒しています。その意味で私たちは共通の欲望を持っていると思いますし、それは本作の二つ目の挑戦で最もよく成し遂げられたと思います。彼は私を、私の解釈でよいのですが、地球上で最も惨めな場所――ボンベイの歓楽街――に、私自らが『The Perfect Human』の主演俳優としてリメイクするため送り込みます。彼は、私が極度の惨めさに触れたとき、どのような反応をするのかを見たかったのです。私が外面を保っていられるかどうかをね。彼は私を破壊しようとしましたが、もちろんそうはなりませんでした。

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――あなたは映画全体を通して、ぶれずに一致していました。
 私は演じる本能を持っています、そしてそれは私が映画を作るときにしていることです。ここでラースが問題にしていることは私のメソッドです――ルールを課し、そのルールの外でリアリティを描き、扱う仕方ですね。彼の映画の意図は、『The Perfect Human』の基礎をなす構造――禁欲的な背景、抑制されたナレーション、長まわし――を解消することによって、私が「パーフェクト」から「ヒューマン」へと進むところを見ることにあります。彼が気が付いていないように思われるのは、私は完全性から人間性への交差路で頭が一杯であるということです。しかし私はそれを異なる方法で探究しているのです――つまり、芸術の固有の条件であると私がみなしている制限とともに作業することによってです。ボンベイでは、私たちは「パーフェクト・ヒューマン」が食事する仕方について描いたシーンをもとに撮影を行いました。一番いいタキシードを着て、シャブリ・ワイン、美味しい魚、銀食器、素晴らしい中華といったご馳走を前にして席に座りました。私は売春宿が立ち並ぶ道の真ん中に座っていました。私はテーブルの後ろから入ってこれないよう、透明なスクリーンを設置しました。それは、あの通りの現実から私の現実を隔てるものでした。スクリーンの後ろに、様々な色の服を着て、様々な生活を送っているであろう女性と子供たちが見えるでしょう。私はこのシーンの、あとでラースが注意した気品をよく自覚していました。私はセットが破壊されたり、人々がスクリーンを裂いてしまったり、人々がもみくちゃになってしまうといったことを覚悟していました。しかし、そのような事態を経験することはありませんでした。
 距離を保つということはテクニックであり、このことが感情に代償を強いることは自覚しています。本当によく自覚しているつもりです。しかし、この私の仕事の仕方の下には、より深く、より正しい起点――テクニックを破壊することによってのみ到達することのできる起点――があると考えることは錯覚にすぎないと思います。それは夢想であり、私はそのようなものを信じません。

――そのことは、たとえジェネレーション・ギャップであるとしても、とくにラース・フォン・トリアーとあなただけでなく、あなたが生みの親としてしばしば引用されるドグマ映画とあなたの間にある差異を示唆しているのではないでしょうか。
 疑いなく、ドグマ・ムーヴメントと私の間には隔たりがあります。しかし、彼らの作品においてはっきり見ることができるように、彼らはまた私の作品から影響を受けています。彼らの何人かには映画学校で教え、よく自分の作品を教材として使用していたので、このことには満足しています。ラースはこのことで私を認めていますし、『The Five Obstructions』でもはっきりとそのようにしています。もちろん、それは嬉しいことです。しかし私自身は、ドグマの一員であったことはありません。そのような(共同体への)共感を失って久しいですね。若い頃、私はデンマークの前衛芸術家たちのグループと関わっていましたが、今では規則によるいかなる共同体の支持者になることも私の心に訴えることはありません。私は自らの規則を立て、ドグマのメンバーたちのしていることよりもより深く掘り下げていきたいのです。この運動にはとても素晴らしいことや、重要なことがあると思います。私が映画学校で教えていた頃は、いつも新たな技術や可能性に誘惑されてしまわないことが大事なのだと教えていました。それらの技術は、より多くのエフェクトを使えるようになれば、より多くの技術的な知識を得、より多くの映画において使用できる手段があり、映画がより良くなると考えさせやすいからです。私は規模の縮小を信頼しています。映画製作の基本となるルール、基本となる文法に集中すること。サウンドとは何か?イメージとは何か?生のフィルムを光にさらすことの意味とは?これらの問いは、私が自問自答するのが好きな問いです。

――それらの問いを、監督がもっとも製作することが多いドキュメンタリーでどのようにして探究していくのでしょうか。
 私はつねに、好奇心と魅惑に動かされています。それが、私を映画監督であり続けさせるものなのです。私は前提として自らの解答を持ち込むドキュメンタリーが嫌いです。そのような映画の監督たちは基本的に、外に出て、自分の論拠や偏見を鼓舞するものを見つけ出すのです。私のドキュメンタリーはそのようなものではありません。私の作品は映画撮影のアイディアについての、より好奇心に満ちより探究的な姿勢の例なのです。作品における私の衝動は理解することであり、そのことがBBCなどの伝統的なドキュメンタリーとの差異を生み出しているのです。
 最近では、もっと映画撮影の素材について知りたいと思うようになりました。私はビデオとフィルムを混ぜることや、二つの素材のコントラストを使うのが好きなのです。それは感覚的なことであり、シンプルなことです。しかし、私はシンプルなことに興味があります。それでまた、私はハイチに魅了されているのです。

――そうですね、デンマーク人のドキュメンタリー作家がハイチに住むという選択はとても変わった選択に思えます。
 もちろん変わった選択ですし、誰もがどうしてハイチを選んだのか聞いてきますよ。とくにハイチについての危険な話を聞くと、やはり尋ねたくなるようです。私は、ハイチの政治的騒乱を通して、生きていることをありがたく思うような倒錯した人間なのです。私は他のどの場所よりもハイチで、人生についてより多くを学んだと感じていますし、ハイチで自分自身についてもよりよく知ることができたと感じています。私はオブザーバーであり、ハイチで起きたことの目撃者になれたことに感謝しています。ハイチの歴史は、悲劇的なコメディに満たされています。私は何年もハイチで生活し、多くの劇的な危機を通じてハイチという国を見てきました。アリスティド(※ハイチの元大統領。このインタビューは2004年の夏頃のもの)は犯罪者であり、米国はより早く、より厳しく彼を制裁するべきだったと私は考えています。彼は民主的に選出されたように振る舞っていますが、それは嘘です。彼はずっと前に退陣させられるべきでしたし、ハイチの人々がそれを自分たちだけではできなかったとき、第三者は彼らを援助するべきでした。しかし米国は非常にのんびりしていて、民主的に選ばれた大統領としてアリスティドは任期をまっとうする権利があるという考えを支持したのです。これは素晴らしい民主主義的思想ですが、それはハイチでものごとが機能する方法ではありません。
――あなたはこのことを昨冬、ハイチからレポートしました。
 デンマークのテレビと新聞のためのものでした。私はハイチの政治状況に情熱をもって従事していましたし、内側から目撃したことをレポートすることは有用であったと信じています。それはハイチのような国に住んでいるときに私たちがなしうることであり、本当はそこで何が起きているのかを知らせることで、指導者によって苦しめられてきた国について理解することに貢献できるのです。

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――あなたはドキュメンタリー作家であると同時に、レポーターであり、スポーツ・コメンテーターでもあります。これらの異なった仕事には、なにか共通点があるのでしょうか。
 すべて、何が起きているのか知りたいという私の衝動につき動かされています。理解すること、見たことを説明すること、教養を深めること、目の前で起きていることを伝えること。私は、これらのすべてを素晴らしいドラマとしてとらえています。スポーツの世界でも同じです。私の競輪についてのドキュメンタリーでは、様々な走者が、あたかも荘厳な舞台の上に立っているかのように、それぞれ異なる性質と人間的な美徳を帯びています。レースでは、彼らはただお互いに敵対して勝負しているのではなく、レースの歴史や過去の伝説的なパフォーマンスに対しても挑戦しているのです。

――あなたは多くのアーティストとコラボレーションしてきました。一番最近では、ミュージシャンのジョン・ケイルと仕事をしています。彼は2001年の監督の作品『New Scenes from America』のスコアを担当しました。あなたはまた『66 Scenes From America』(1981)で、アンディ・ウォーホルとも一緒に仕事をしました。自分とは異なる分野で活躍するアーティストと作業した経験は、ラース・フォン・トリアーとの経験とどのように異なっていましたか。
 私を心から魅了することの一つが、分野を横断して仕事をすることなのです。アンディ・ウォーホルは、素晴らしいインスピレーションを与えてくれました。デュシャンやジョン・ケージもそうでした。私は他の映画監督からよりも、画家や彫刻家に刺激されることが多いですね。それはおそらく、映画の歴史は他の芸術の歴史に比べるとまだ遅れているからでしょう。またおそらく、アメリカ映画はショウ・ビジネスとして考えられていて――この商業的状況からたくさんの素晴らしい偉大な映画が生まれましたが――私のような仕事の仕方ではないからでしょう、私はたいてい詩や芸術家ら刺激を受けるのです。私は自らを、映画から他の芸術へと出て行こうとする方法を模索していた世代に入ると思っています。それは、インスピレーションのためでもあり、新たな考え方や哲学を開くためでもありました。ジョン・ケイルなどのアーティストとコラボレーションしようと求めることは、私にとってはきわめて自然なことでした。仲の良い友人が彼を紹介してくれて出会ったのですが、それだけではなく私はこのような種類の感性を探していたのです。ウォーホルは、アメリカについての新たな映画に、同じ種類の感受性を表現する人物を私が求めるようになるほど、重要な人間でした。ジョン・ケイルは、当然の選択でした。彼は私が提案したコラボレーションの仕方が自分にとって面白いものだったので、企画に賛成したのです。私はイラストレーターとしては、作曲家を使いません。たとえばヒッチコックが彼の作品でしたような、劇的な強調など私は求めていないのです。というのも、サウンドとイメージがおもにフィットしていないと、何が起きているのか知りたくなってしまうからです。つまり、私にとってサウンドはつねにイメージから隔てられているのです。ときには、私の映画でも音楽がイメージとの対比、あるいはナレーションとの対比で使われることがあります。音楽が単純にイメージを描写しているだけのときや、明らかなことを説明しているときには、私は嫌な気持ちになります。そういうわけで私は、ジョン・ケイルが映画の作曲をする前に、映画を見せはしなかったのです。私は彼にいくつかのキーワードを与えて、それと引き換えにいくつかの断片、完成していない曲を要求しました。私は彼の音楽を求めていましたし、また作品が偶然によって導かれることを望んでいました。私は偶然に導かれるのが好きなのです、それは映画監督にとっては言うのが不快なことでもありますが。映画監督は、たいていコントロール・フリークなものです――なにもラース・フォン・トリアーだけではありません――しかし、私は偶然が入り込む余地を残しておくのが好きなのです。私は『New Scenes from America』を2001年9月に撮影し、9月10日にニューヨークを離れました。この作品は9.11についての映画ではありませんが、あの日の悲惨な出来事が映画全体を貫き、作品をある種の色に染めています。しかし、それは私の方で意図したことではありません。
――それはあなたのコントロールを超えています。
 すべてが私のコントロールを超えているのです。

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