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zoom RSS 『The White Ribbon/白いリボン』ミヒャエル・ハネケ監督 その2

<<   作成日時 : 2010/04/04 02:56   >>

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その2はもちろん監督インタビュー!独「Spielfilm.de」より、『白いリボン』ミヒャエル・ハネケ監督インタビューを全訳してみました。個人的に好きな監督なので、いくつかインタビューも目を通しましたが、これが1番内容のあるものだと思います(´∀`* その1でちらっと書いた、本作のテーマについても言及しています。ネタバレ的な内容はありません。

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なお、本作の「その1(紹介・感想編)」はこちら、
http://planeta-cinema.at.webry.info/201004/article_1.html
インタビュー原文はこちらからどうぞ。
http://www.spielfilm.de/special/interviews/887/das-weisse-band-michael-haneke.html

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――まず、本当に「白いリボン」というものは存在したのですか。
 はい、ある本から取ってきたものです。概して私の作品に出てくる話のほとんどが、書物に基づいているのですが。私は教育に関する本と、19世紀の暮らしに関する本を大量に読みました。そしてある本の中に、親に向けた教育についての助言が載っていたのです。それが、不道徳な振る舞いを注意するだけでなく、他人の前でさらし者にするために、子どもに白いリボンを結びつけるという助言だったのです。いわば、身体的な罰の代わりだったのでしょう。

――この物語の準備をいつから始めたのでしょう。
 基本的なアイディアは、もう15〜20年前から持っていました、ある村の少年合唱団についての話です。その合唱団では父親の規範が絶対視され、それによって自分たちの両親を、子どもには厳しいのに、自分たちには甘い裁きをする人間に変えてしまうのです。ある思想がイデオロギーへと変異するときはいつも、そのイデオロギーは生活がうまくいっていない人々によって支持されます。これは、テロリズムに関するすべての形式の基本モデルです。

――多くの映画が、共感的にテロリストを表現していますが、あなたの作品では違いますね。
 テロリズムはいつも、なにか共感できないものであると思います。それが、他者を犠牲にするからです。私は、個人的にですが、ウルリケ・マインホフ(註:ドイツ赤軍の設立者)と知り合いでした。彼女は当時、とても好感が持て、温かい心を持った、政治に積極的に参加していて、そのうえユーモアに富んだ人間でした――今日では誰も想像できないでしょうね。ただし、あるときから彼女はそのような人間ではなくなってしまいました。ひとが誰かに対して暴力を行使すればすぐに、そのような性質は共感とともになくなってしまうのです。私はおそらく、どうしてある人がそうまでになってしまったのかを理解し、説明できるでしょう。しかしそのために、私はテロリズムをまだ是認することができないのです。

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――あなたは作品を第一次世界大戦の直前に据えています。監督の視点からの、この歴史的な隔たりは必然的なものだったのでしょうか。
 今日でも、理論的にはイスラム教国で同じテーマについての映画を製作できます。確かにそれは完全に違うものに見えるでしょうが、しかし私がまさに明らかにしたい根本的なアイディアは同一のままでしょう。またその映画を、ウルリケ・マインホフをキーワードにして、左翼ファシズムについての作品にすることもできるはずです。私が関心を持つのは、テロリズムのそれぞれの形式の間にある共通点なのです。

――根本的なアイディアから映画の実現までに、20年もかかったのは・・・ ・・・かかったのは、本当に月並みな理由によります。この計画に出資することができなかったのです。主役に子どもを使う歴史的な映画を――誰もが拒否したからです。少し事情に通じている人であればみな、そのようなことがドイツではいくらかの資金を要することを当然知っています。一定の時間数分を撮影する必要がありますが、子どもたちは周知のごとく、一つのシーンを完全にやり遂げるまでに多くの時間を必要とします。要するに、撮影に二倍の時間がかかるのです。それからまた、歴史的な題材は製作者を最初はひるませますからね。

――どの「うっかりした」製作者が、結局説き伏せられたのですか。
 (笑)前作の結果を根拠に、それでもおそらく利益が生じうると考えてくれました。しかし、『白いリボン』は疑いもなく高価な映画でした――これまでの作品の中で最も費用がかかりました。1200万ユーロ(註:日本円で15億円くらい)といえば、莫大な金額です。

――子どもたちと一緒に仕事をするのは、危惧していたように困難でしたか。
 子どもたちを見つけ出すのがとても困難でした。半年をかけて、7000人の子どもを試しました。これは大仕事ですから、一人でしたのではなくて20人のチームで行いました。才能のある子どもを発見しなくてはなりません。それでもやはり、ときどきは訓練を受けた俳優との仕事よりも困難な仕事になります。しかし、しばしばより容易な場合もありました。というのは、子どもたちは、本当に小さいので、いつもの彼らの生活の中で演技するからです。トラを演じるとき、彼らはその瞬間はトラになるのです。子どもたちが才能を持っていて、状況を理解しているならば、彼らはキスもするし、またどんな俳優よりも上手にするでしょう。それに加えて私は、ほとんどすべての私の作品で、出演した子どもたちと一緒に多くの経験を得ています。

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――監督は、この映画をモノクロで撮影しました。なぜなら――ご自身が言っているように――第一次世界大戦の前の時代に対する私たちの記憶は、モノクロ写真によって形成されているからです。ただし、撮影はカラーで行われたという・・・
 それについては二つの理由があります。一つ目は本当に平凡ですが、すなわち製作者のドイツのテレビ局との契約に、映画がカラーで上映されるべきだということが含まれていたのです。その際に、映画が成功するならば、ドイツのテレビ局が断念するようにできるだろうと期待していました。本当の理由はしかし、ろうそくと石油ランプのもとで反応するのに十分な感光性のあるモノクロ素材が存在しないということです。そういうわけで、私たちはカラーで撮影して、すべてをデジタル処理しました。それからフィルムは、モノクロにプリントされたのです。

――確かに多くの映画館で、デジタル上映されています。
 20年前であれば、やはり完全にありえなかったことでしょう。当時はまだデジタル・プロジェクションは準備されていませんでしたから。デジタル・バージョンでは、August Sanderによる精巧で、従来のモノクロ映画とは違うモノクロ映画に到達した映像を見せてくれます。デジタル・プロジェクションは、典型的な進歩ですね。いま50年代の映画を観ると、相当に不鮮明だと思うでしょう。私たちはいつも詳細に映画を見つめます、それはテレビによって慣れているからだと思いますが。10年前のテレビ映画でさえ、現在の基準によればたいていひどいものに見えます。私は感傷的な機材フェチではありませんし、それゆえまた、旧来のものからアビッド(註:編集ソフトを開発する会社)のデジタル編集に切り替えた最初の人間でもあるのです。いずれにせよ10年以内にフィルムは時代遅れのものになり、そのときすべてのものがデジタル設備にされるでしょう。それは機材のせいというわけではなくて、(フィルムを)運ぶという点のためです。

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――監督がご自身の映画で伝達しようとしていることは、観客にとってはつねに容易に消化できるわけではありません。それは『白いリボン』にもあてはまります。ライヒ・ラニッキによって普及したブレヒトの「私たちは、閉ざされた出来事と未解決の疑問を、狼狽して再び見るのだ」(註:この引用に決まった訳があれば、教えて頂けると助かりますm(_ _ )m )という引用を観客は思い出すでしょう。
 (笑)私がいつも好んで引用するのは「これが本当は私の原理だ」(註:同上)だね。

――それについてまた、観客に過大な要求をすることができるとお考えなのですか。ここまでにしておこうという限度はあるのでしょうか。
 観客に多くを要求することは常套手段なのです。なぜなら観客は解答を詰め込まれることに慣れてしまっているからね。問いはただ、次のことだけです。芸術形式としての映画が存続するべきならば、それ(解答を作品で満たすこと)は最善の手立てなのか。テレビの伝える態度によって観客にたたき込まれた待望をかなえなくてはならないのか。私はそうは思わない。音楽や造形芸術では、作品が一つとして解答を与えないことについて、誰も気にやんだりしません。人はその作品が与える感銘を味わい、その作品は多少なりとも心を捉えるのです。しかし芝居のセリフになったとたんに、すべてが理解をもたらすようにされて、この瞬間に作品は死んだような、くたびれたものになるのです。本当にありがたいことですね。私は出来事が未解決のままになるように努力しています。私は(映画)作品から挑戦されているつもりですし、いずれにせよ私がもう知っていることを、いつも単に証明してもらうつもりはありません。そうでなければ、私は2時間の時間を浪費したのです。少し困惑させるような映画と書物こそが、いつも私を前進させてくれます。

――監督は観客に、解釈することを要求しています。それはまた、過剰な解釈が起きるリスクを含んでいますね。
 誤解には手の施しようがありません。もしあなたが、あるものに誤解の余地はないと言ったとしても、他の解釈をする人をいつも見つけるでしょう――例えば、その人の世界観では合わないからです。またあなたが10人の人間に、ある一つの出来事を記述するように頼んだとすると、10個の異なる出来事の記述を得ることになるでしょう。このようにしか生きられないのだから、作者が望んだことを受け手が「理解する」確実な方法などないのです。それはまたひどく退屈かもしれません、というのは、すべての造形芸術を投げ捨てることが実際にできると思われるからです。

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――あなたの映画はよく、「破壊的な作品」だといわれます。
 それはたびたび聞いたことがありますが、それにもかかわらず私は自分の作品を総じて破壊的ではないと思っています。少し不安にさせるだけなのです。私は確かに、作品から見出せるように、楽観主義者ではありません。そして年を取るにつれてよりいっそう、人間の学習能力が制限されたものだということを確信するようになりました。しかし私はまた悲観主義者でもありません。私は自分を、現実の精密な観察者だとみなしています。それゆえ、現実主義者なのです。私は、観客がそれに対して抵抗するような特定の観点から観客を刺激するように勤めています。それが生産的だと思っているのです。

――後になってから、自分自身や自分の作品の背景をさぐることがあるのですか。
 普通はないですね。一つの作品を撮り終えたあとは、私はそれを忘れてしまいますし、次の作品で忙しいので――いまみたいに、記者の方と対談をしているときを除いてですが・・・

――・・・監督は(対談を)あまり好んではいない・・・
 する必要がないときには、私はしないでしょう。しかしそれは、私がジャーナリストと話すのが好きではないからというわけではなくて、作者ではなく作品が話すときの方がよりよいと思っているからなのです。

――監督は基本的に、映画音楽を用いずに製作します。それは――ご自身が言うように――音楽で自らの失敗を隠蔽してしまわないためです。
 ・・・非常によくある事態です。

――映画音楽を用いる他の監督が多くの失敗を隠しているとも取れるので、どことなく傲慢にも聞こえるのですが。
 私はそのことを、簡単に説明できますよ。因果関係的に音楽が欠かせないジャンルフィルムがありますから。現実を模写するリアリズム的な映画においては、背景音楽は許容できないものだと私は捉えています。つまり、あなたは他の手段では到達できない付随的な感情を感じているのです。

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――『白いリボン』はカンヌ映画祭でパルムドールを獲得し、アカデミー賞外国語映画賞のドイツ代表になりました。監督は大きな映画祭で、他の映画監督やスターたちと接触したり、意見交換をしたりしているのでしょうか。
 全然ないですね。一日中ホテルの部屋にいて、ジャーナリストとしか話しません。カンヌには9回出席していて、今回は4本だけ映画を観ました。時間がなかったので。

――映画祭以外では?一般に、有名人との付き合いはありますか。
 いいえ。映画監督はたいてい非社交的なものです。ですから、個人的なつながりはありません。映画を撮影したり舞台を演出するときには、集中して共同作業をする同僚の中に、一生の友人を見つけ出したと思うでしょう。それでも、プレミアが終わればすべては過ぎ去ってしまいます。これも、この仕事の一部といえます。もちろん、とても尊重していて、そのために繰り返し起用する役者はいます。そういう役者は、仕事を容易なものにしてくれます。そしてまた、イザベル・ユペールやジュリエット・ビノシュのような若干の俳優とは、親しくしています。私のプライベートな交際範囲で、映画と関係があるのはほんのわずかの人々だけです。

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――撮影を、仕事の中でも最も負担になるものだと監督は称しています。
 確実に最もストレスのある部分ですね。というのは、本当に創造的な仕事はその前に行われているからです。脚本家として、私はみずから作品を書きます。一般的に、脚本家は監督よりも重要です。良い脚本がなくては、監督に仕事をさせられません。生産的な仕事は撮影の前にされますから、それで話の題材をくまなく探し、ストーリーボードを作るのです。撮影はストレスそのものです――頭の中にあるものを、スクリーンへと移さなくてはならないので。それでも、ポジティブな側面もあります。それは俳優です。というのも、彼らはまだ(作品に)何かを付け加えてくれるからです。他の何よりも、はじめに考えていたもの以下にならないよう、つねに注意を払わなくてはなりません。信頼できるようなよい仕事仲間は、ストレスを少し減らしてくれます。私はしかし、コントロール狂で、何百万というささいなことが気にかかるのです。これはストレスがかかります。

――そうすると、あなたの助監督は気楽な生活が送れないんですね。
 私との撮影で、気楽に働ける人間はいないでしょう。私は比較的に、独裁的な監督です。俳優もまた気楽に演じることはないでしょうね、私は比較的に頑固な人間なので。他方で、私は俳優たちを大事に扱っていますし、チームを苦しめているのではなくて、すべてが上手く機能するように規律を守らせているのです。私はそんなに悪い人間になることもできませんし、そうでなければ同じ人々が、繰り返し私と仕事をしようとしないでしょう(笑)

――頑固な完璧主義者であるハネケは、一つのシーンに無数のテイクをとるキューブリック的手法で撮影するのでしょうか。
 そう、たくさんね。

――異なった仕方を試すためにですか、それとも肝心な箇所を的確に表現するためですか。
 私は、アメリカで一般に行われているような、多くのカメラで異なる視点から同時に撮影するということはしていません。そうではなくて、いつもただ、ストーリーボードに書いてある通りに精確に撮影しているのです。撮影は、私が満足するまで続きます。

――それではセットで即興演技をするのは、やりにくいのですね。
 はい(笑)もし子どもたちに即興演技までさせていたら、おそらくもう一年は長くかかったでしょう。また、例えば(即興演出で有名な)俳優監督のジョン・カサヴェテスの逸話も、作り話です。撮影の前に何週間もリハーサルが行われていたのですから。

――監督も同様に、撮影の前にリハーサルをたくさんしたのですか、それとも読みあわせをしたのでしょうか。
 まったくしていません。ただし馬車のシーンのために、事前にカップル役の二人とはしました。馬車にカメラが据えつけられただけで、私のためのスペースがなく、そばにいることができなかったからです。

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――カンヌ映画祭ではとりわけアメリカ人の批評家が、『白いリボン』を、第三帝国において犯罪を行った世代の成熟を描いている作品だと判断しました。これは、簡潔な理解の仕方ではないのですか。
 もちろん、アメリカの方はそこにとびつくのですが、しかし私はすでにカンヌでのすべてのインタビューでこう言いました。映画をそんなに切りつめてしまうべきではない、と。『白いリボン』はファシズムについての映画ではありませんし、ファシズムをまったく説明することが出来ない作品です。根本にあるのは、どこからファナティズムあるいはテロリズムが生まれたのか、という問いです。

――すでに、次回作にどのような映画を撮りたいか決まっているのですか。
 二つのプロジェクトを念頭においていますが、まだはっきりしていないことを話すべきではないでしょうね。

――しかし、コメディを予想する必要はなさそうですね。
 靴屋に帽子を作ることを期待するべきではありません。私は残念ながら、ウィットの才能に恵まれていないのです。私はコメディを作ることができません。私は20年のキャリアの中で、一つだけコメディを作りました。それは、私の人生で唯一の失敗作です。

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[映画]ミヒャエルハネケ「白いリボン」
http://www.shiroi-ribon.com/ なんか、連日満員で放映期間延長したそうですよ。 すげぇ。 ハネケはすれ違いを描くのがうまいなぁ。 1シーン、男女のいい争いを描くんですが、ここのすれ違いってすっごいハネケらしい表現。 お互いがかすりもしないところがいい。しかも、 ...続きを見る
消えるとて浮かぶもの
2010/12/14 02:08

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
ハネケ監督のインタビューがあまりにも興味深かったので、拙ブログから参照させていただきました。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-228.html

『白いリボン』はとても面白かったです。
ナドレック
2011/05/06 11:37
コメントありがとうございます。
拙い訳文ですが、少しでも参考になれば嬉しいです(゜ー゜
ナドレック様の『白いリボン』評を拝見しましたが、自分の気付かなかったことを指摘されており、とても興味深かったです。
ina
2011/05/06 17:00

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『The White Ribbon/白いリボン』ミヒャエル・ハネケ監督 その2 ぷらねた 〜未公開映画を観るブログ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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